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四畳半を卒業したchebuと まぶたん:夫           あん子:娘            との東京暮らし。


by chebu3379

カテゴリ:きもち( 4 )

感謝

人に何かしてもらうと「お返ししなきゃ」ということを割と反射的に思う性質でしたが、昨日ちょっと神様について考えてみたときにふと思ったのは、何か与えてもらったら「感謝」をすればよいのだなぁということ。

「返礼」はそのあとの話。ちょっと別の話。

まず、感謝を待とう。そして、「お返しをしたい」と思えたらお返しすればいい。

まぁあれだよね、心の中で「お返しなければ見捨てられる」「役に立てなければ自分は存在できない」という子供の頃のあれこれが未だに燻ってるんだろう。

それが、「人に与えてもらう」というありがたい体験を「取引」に変質させてしまっていたんだな。物事はどんな気持ちでするかによって全然変わってしまう。

もう私は大人で、親に振り回されずに自分の生き方を自分で選べるお年頃になったっていうかもうだいぶそういうお年頃も過ぎたので、そろそろ自分のやりたいように感じたいように生きる。

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by chebu3379 | 2016-09-18 22:36 | きもち

願望

色々と考えていたら、自分の中に評価されたいっていう強い願望があるんだなぁと気が付きました。

「認めてほしい」くらいのは前からあるなぁと思ってたんだけど、自分で自分を認めてないからそう思うのだと思ってた。そう思っちゃう自分をちょっと嫌だなぁと思っていました。

でもたぶんそういう承認欲求の話じゃなく、私は他人に評価されたいと思ってるみたいだなと思いました。

承認欲求だと思ってしまってたから色んな場面でこの気持ちが出てくることをなんだか窮屈で不自由だなって思っていた。私は誰にでも好かれるような完璧人間になれる器ではないし、好かれるために相手の望み通りの答えを出し続けるのに耐えられるほどの無邪気さもないし。でも「評価されたい」だったら評価の軸さえ自分の中でクリアにしてしまえば実現可能だなと思う。

自分の生活スタイルの中に無理なく健全な形でこの欲求を叶えられるようなことを組み込めるチャンスがあるかしら?

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by chebu3379 | 2016-09-13 00:15 | きもち

反逆

自分でも驚くのだけれど、突然今まで面白いと思っていたものたちを少し疎ましく思うようになった。

ずっとただ自分の身体を知るのが楽しくてころころと坂道を転がるみたいに進んできたけれど、今は他人が語る身体にまつわる色んな考察が少々うっとおしいなあと感じてしまうときがある。

理屈、つけないとだめかな。

いや、きっと語ってる人たちはかつて私がそうだったように楽しくて興味深くて進んでいってるだけ。理論って大切だし、批判する気はない。

どういうわけだか論理的に体の感覚について語られることが、時々感覚について良し悪しとか正誤を決められてしまうみたいに感じてしまうのだ。好きなように感じたい。あるいは感じられないことについて罪悪感とか劣等感とか持ちたくない。

感じるように感じたい。そこを他人にコントロールされたくない。気難しいなぁと思うけど、そう思っちゃうのだからどうしようもない。

そう感じてしまう自分に、しばらくお付き合いしてみよう。
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by chebu3379 | 2016-08-24 22:11 | きもち

立ち会う

色んな事に興味を持つ方だと思う。興味を持つとそれなりに熱心に関るけれど、どこか「自分はこれについて本気じゃないんだろうな」という気持ちがぬぐえないところがあった。

それは自分は誰も見てなくてもこれをやるだろう、と思い切れなかったから。心のどこかに「誰かに見ていて欲しい」というような気持ちがあるような気がしたから。

でも、そういう気持ちって自然なものなのかもしれないなぁとふと思った。振り返れば「あのときあの人がそこに居てくれたから間違えずに進んでこれた」というような事が沢山ある。それは「認めて欲しい」という気持ちだけじゃなくて「立ち会って欲しい」気持ちでもあるのかもしれない。

「立ち会って欲しい」「見ていて欲しい」という感情について、自分のも他人のも否定したくなるのはそれがのどから手が出るくらい欲しかったのに手に入らなかったことの裏返しなんだろうと、薄々気がつきかけている。感情はついていかないけれど。

それにしても、ただその場に立ち会うこと、見ていることというのはとても難しい。親がそれを私に与えることができなかったことについて、致し方ないことのように思える。私自身ができるようになるまでもまだまだ時間がかかりそうだ。
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by chebu3379 | 2015-06-03 01:33 | きもち