浪人生していた頃に、息抜きに国語の資料集に載ってるようないわゆる「名作」と呼ばれている本を読んでそれのどこが名作なのか、本当に名作なのかを確認してみようとしてた時期がありました。
手始めに読んでみたのが三島由紀夫の「仮面の告白」。同級生の男の子の腋毛を「繁多な夏草の茂り」って表現してあったのには思わず噴出しちゃいました。見かけの類似だけじゃなくてきっと、生命力が過剰な感じやある種の死の気配みたいなものを含めて「夏草」と表現したのかなと思うんだけれど、非常に的を得ているなぁと思いつつも腋毛にターゲットを絞る三島さんの感性(というか多分趣味)には今でも笑わずにはいられません。
この本がいろんな意味で超面白かったのでその後しばらく三島さんの本ばっかり読んでいました。
個人的には三島さんの普通の(?)小説はきっちりしすぎて安っぽく感じてしまったりして、文章は美しいと思うけど好みではありません。でも、この「仮面の告白」とか「憂国」とか「英霊の声」みたいな趣味全開の作品は凄いなって思う。生々しくて、グロテスクで、でも生命力みたいなのがあるように感じます。特に「英霊の声」は(内容とか思想的な正否はともかくとして)非常に美しいと思う。このエネルギーに引き寄せられて切腹しちゃったのかな・・・と納得してしまう美しさです。
今回読み返してみてふと思ったのですが「仮面の告白」って「世間に対して仮面をかぶって告白」(フィクションという意味か、カミングアウトという意味か、どっちかわからないけど)ということかと思っていたんだけど、もしかしたらこの「仮面」って自分自身に対する「仮面」だったのかなぁと思いました。
三島さんって物凄く頭でっかちと言うか、自我が強い人のように感じます。そんな三島さんにとっての肉体的な部分、自我じゃない部分、それが性欲って形で表現されてるのかな(まぁ、表現と言うよりは告白内容は実際の趣味そのまんまなのかなと思うけど)。でも三島さんの自我はそれが意味するところを自分自身に対して隠そうとする。事実の改変まではできない(自我がクリアすぎて、事実については認めざるを得ない)までも、その事実から別の物語を編もうとする。けれど最終的にそれは失敗に終わって、事実を認めざるを得ないところに追い込まれる・・・という物語のような気がしました。
三島さんの自我のありかたって不思議。「傷つけられた瀕死の粗野な男性」に欲情するわけだけど、傷つける側に立ちたいのかと思いきや、傷つけられてるコスプレ写真集を出した挙句切腹自殺しちゃう。
この人にとっては「性欲=美意識=同一化の欲求」になってるのかなぁ。美しいと感じた対象になりたいと感じる人、というか。ナルシストといえばナルシストなのでしょうが、私が思うナルシストは「自分美しい→より美しくなる努力をする」なのに対して三島さんのは「美しいと感じる→美しいものに同化→自分(というより自分の上に完成した最初に美しいと思った対象が)美しい→より対象に同化」というサイクルで行動してそうな感じ。厳密に言うと自分自身を美しいと思ってるわけじゃない気がします。
そうだとすると、最初に「傷つけられた瀕死の粗野な男性」を美しいと思った時点で死に方はある程度決まってたのかな・・・。
どうでもいいけど、「薔薇刑」(ヌード写真集)を見てあまりの美しくなさに衝撃を受けました。スピーチのテープの声も深みのない声でがっかり。物凄い鍛えてはいたけど、最後まで身体の人じゃない感じ。本当にどうでもいいことだけど。
「仮面の告白」
三島由紀夫 著
新潮文庫